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 ■■ 原点 ■■
今日も一日無事に終えることが出来たご老公一行。
スケはジャケットをばさりと木にかけると手慣れた様子で竈を作っていた。
その横を通りかかったカクが、木の根本に何か落ちているのに気づく。
「おや?これは…」
拾い上げるとそれはパスケースだった。
「パスケース…誰のかな?」
ぱたりと開いたその中には、すっかり色あせた写真が収められていた。
クローバーの花冠を嬉しそうに被る少女と、少女の頬に口づける少年。
「あ!カク!それ返せ!」
「え?」
バッ。
そんな声がカクの耳に届いた次の瞬間には、既に手からパスケースはもぎ取られていた。
「ったく、勝手に見るなよ。」
「あ、ああ、スケさんのだったんですか。すいません。落ちていたものですから。」
「…そっか。ああ、拾ってくれてありがとう。」
「ええ。」
なんかいつになく素直というかもじもじしているというか…
カクはスケの様子がいつもとずいぶん違うことが気になった。
「スケさん?あの、さっきの写真ですけど…」
「なんだよ、やっぱり見たのか。」
「ええ。すいません。」
「…今度、機嫌がいい時に話してやるよ。」
「はい。」
スケはちらりとパスケースの中を見た。
その横顔は、遠くを見るようで、とても穏やかだった。



1990年、イタリア−
スケサヴァンニ・ササキェッティは小学校(Scuola Primaria)に在籍する7歳の少年だった。
歳の離れた大きな姉二人と母は服飾デザイナー、父はセレクトショップ店主。
少年がお洒落に気を使うようになるのは必然とも言える環境。
父からは女性への優美でスマートな接し方を教えられ、
母からは女性を守ることの大切さを教えられ、
姉達からは女性の偉大さを嫌と言うほど教えられた。
そんな英才教育の甲斐あってか、スケは学校でも女生徒からの人気の的であった。

ある日スケは学校が終わるとすぐ、自分だけの秘密の場所を目指し走っていた。
そこは家から少し離れた所にある、誰も住んでいない屋敷。
庭はとても広く、手入れはされていないながら花壇には常に花が咲き誇っている。
壊れた塀から初めて潜り込んだ時は、ちょっとした楽園のように感じられた所だった。
「よっ…と。」
立て掛けてある木の板を外し、塀に大きく開いた穴からいつものように四つん這いで入り込む。
しかし、その日目に入った光景はいつものものとは全く違うものだった。
「あらあら、大きなワンちゃんですこと。」
「…。」
目の前にいたのは、絵本の世界から抜け出したのかと思われるような少女だった。
純白のフリルが沢山ついた足首までのワンピースに、丸くて小さなエナメルの靴。
そしてつばの広いふわふわの帽子と同じデザインの日傘。
スケは思わずその姿に見蕩れてしまっていた。
「まあ、ボロネーズみたいなまあるいおめめ。とってもかわいいわ。」
四つん這いのままじっとこちらを見ていたスケの首に、少女はおもむろに抱きついてきた。
ビスクドールのように白く滑らかな頬が自分の頬に触れる。
腰まで届く、輝くブロンドが顔を包みながらさらさらと流れていく。
くっついていたのはほんの数秒だったのだろうが、スケにはとても長い時間のように感じられた。
そんな永遠を一瞬に戻したのは遠くから聞こえてくる女性の声だった。
「ラウラ様ー。ラウラお嬢様ー。」
「こっちよー、アレッシア。」
ふっと首にかかっていた圧力がなくなる。
それはなんだかとても寂しい事のように感じられる。
しかしそんな悠長な事を考えている暇はスケにはあまりなかった。
引き戻された現実に、驚きと興奮ととにかくよくわからない感情が混ざりあって、
彼の小さな心臓はこれまでにない速さで脈を打っていたのだ。
この鼓動がもしや彼女に聞かれはしまいかと、スケは必死で落ち着こうとしていた。
スケが何とか立ち上がり、膝の土を叩いていると、アレッシアと呼ばれた女性が目の前までやって来た。
アレッシアはピンクのワンピースに白いエプロン姿。
年は二十代半ばといったところだろうか。
ラウラ様と呼んでいるところからも、お付きの女性だと思われた。
「まあラウラ様、もうお友達ができましたか?」
「いいえ、これからお友達になっていただくの。」
すっと集まる二人の女性からの視線。
二人にばれまいと何度か静かに深呼吸をしていたのが功を奏したか、スケは二人とそれぞれ目を合わせると、すぐに自分がすべき事に気付く事ができた。
スケはすっと膝を地面に付けて丁寧に挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様方。私はスケサヴァンニ・ササキェッティと申します。」
「ごきげんよう。私はラウラ・ロマーノです。こっちは侍女のアレッシア・ビアンキ。」
「よろしく、小さな紳士さん。」
スケは差し出された手にそれぞれキスをすると、ようやく立ち上がった。
「さあ、これでもうおともだちね。遊びましょ、スケ。」
「喜んで。ラウラさん。」
その日スケは、日が沈むまでこの広い屋敷の庭で遊んでいた。
五歳だという小さな姫は、自分のことをいたく気に入ってくれたらしい。
スケ自身も、外の誰よりも彼女といる時間がとても楽しく、
帰りを切り出すのに躊躇した回数は二度や三度ではすまなかった。

その日スケは家に帰って、この素敵な出会いの事を母親に話した。
きっとよかったわねと言ってくれると思ったからだ。
しかし母親の口から出た言葉はあまりにも予想外なものだった。
「あのお屋敷の近くには行ってはいけません!」
スケに、女性ましてや家族である母に口答えする考えはまったくなかった。
だからわけもわからず怒られたスケはハイとだけ返事をした。
しかし、この戒めを守る気がないことも、自分が一番よくわかっていた。

それからも、スケは自分の時間ができるたびに(時には自分で無理矢理作り出して)
あの楽園の庭へとこっそり遊びに行った。
そこにはいつもラウラとアレッシアがおり、笑顔でスケを迎えてくれた。
お姫様ごっこやリム転がし、馬乗り遊び。
お絵かきに紙飛行機とばし。
二人っきりでも遊ぶ事はいくらでもあった。
遊んで疲れるとアレッシアがジュースやジェラートを持ってきてくれた。
スケにとってこの楽園で過ごす時間は、それはそれは楽しい時間だった。

スケがここでラウラと出会ってから二月程経ったある日のこと。
いつものように遊んだスケとラウラは木陰のベンチで一休みしていた。
スケが何気なく庭を見ていると、庭の片隅にクローバーが塊で咲いているのが見えた。
「ねえ、ラウラ。見てごらんよ、あんなところにクローバーが…」
振り返ったスケの隣で、ラウラは横になりすやすやと穏やかな寝息を立てている。
スケはくすっと笑うと、着ていたベストを脱ぎ、ラウラにそっとかけた。
それからスケはクローバーの群生地に座り込み、何本もその花を摘んだ。
「スケ君。何をしているの?」
不意に声をかけたのはアレッシアだった。
両手にジュースの缶を持っている。
スケは作成途中のそれを見せながら言った。
「クローバーで冠を作ってるんだ。ラウラにあげるんだよ。」
「まあ素敵。お姫様にはぴったりね。」
「うん。あと、もう一つ別のも作るんだ。」
「あら、それはなあに?」
「内緒!」
スケは嬉しそうに笑った。
アレッシアも微笑んでくれた。
しかし次の瞬間、アレッシアは少し寂しそうな表情をした。
「スケ君。」
「何?」
「ラウラ様とずっと仲良くしてあげてね。」
「…? 勿論。ずっとずっと遊びに来るよ。」
スケは何故急にそんな事を言われるのか全くわからなかったが、
素直に自分の気持ちを表現した。
「うふふ、ありがとう。」
アレッシアは持っていた缶のひとつをスケに渡した。
「あとは、女の子のお友達が増えるといいんだけど…」
「僕が連れてきてあげるよ。学校には女の友達がたくさんいるから。」
「あらそう、スケ君はモテるのね。」
「友達が多いだけだよ。」
そう言いながら照れを隠すように下を向いて作業に戻るスケ。
「そうだ、折角だから写真を撮りましょう。カメラを持ってくるわね。」
アレッシアは嬉しそうに微笑むと、屋敷のほうへと歩いていった。
スケはラウラが起きる前にこのプレゼントを完成させようと一生懸命作業を進めた。
その甲斐あってか、スケが作業を終えた時、ちょうどラウラが目を覚ました。
「おはよう、スケ。私、ねむってしまっていたわ。」
「おはよう、ラウラ。これを差し上げましょう。」
スケは歩みよってきたラウラの頭にそっとクローバーの花冠を載せた。
「まあ…ありがとうスケ。とってもかわいいわ。」
「それから、こちらを。」
そう言ってスケが見せたのは同じクローバーで作った指輪だった。
ラウラは嬉しそうに左手を差し出す。
スケは指輪が壊れないように丁寧に薬指に通した。
「うふふ、エンゲージリングね。私、スケのお嫁さんになりたかったの。」
二人は顔を見合わせてにっこりと笑った。
「あらー、もう一つはこれだったのね。」
カメラを持って戻ってきたアレッシアが二人を見て微笑む。
「それじゃあ花嫁さんに花婿さん、こちらですよー。」
新人カメラマンが緑の絨毯に座る二人にレンズを向ける。
笑顔でこちらを向く二人。
しかしアレッシアは折角覗き込んだファインダーから目を離した。
「花婿さん、花嫁さんの頬に。」
「…。」
スケがコクリと頷く。
カメラマンは満足げに撮影体制に戻った。
…パシャリ。

楽園からの帰り道、スケはなんだか体がふわふわする事に気が付いた。
とっても楽しい、素敵なことがあったからだと思っていたが、
家に帰り着いてから、それは半分しかあたっていないことがわかった。
スケは熱を出していたのである。

高熱に浮かされていた二日目、医者がやってきて、麻疹だと診断した。
それから、二度ほど高い熱に襲われたが、家族の看病や医者の薬のおかげで、
一週間経った頃には普通の食事が取れるほどには回復した。

熱もすっかり引いた日の朝、外にはまだ行けないと言われていたが、
スケは窓を見ながらなんだかそわそわしていた。
学校に行きたいのではない。
ラウラとアレッシアに会いに行きたいのだ。
もう一週間も会いに行っていない。
突然こなくなった自分を心配しているのじゃないだろうか。
それとも何とも思われていないかな、そうだったらどうしよう。
スケはどうにかして家を抜け出せないかと必死で考えていた。
そんな所へ、スケの母親が姿を見せた。
「スケサヴァンニ。」
「…はい?」
名前を全部呼ぶ時の母親は要注意なのだ。
スケは短いながらもこれまでの経験でそれを知っていた。
「貴方、ママの言いつけを守りませんでしたね。」
「言いつけ…。」
スケはドキリとする。
当然である。
心当たりがあったのだから。
何よりたった今その言いつけを破ろうと考えていたのだから。
「あのお屋敷に行っていましたね。」
「…ごめんなさい、ママ。」
「仕方がないですね。…あの屋敷の方からこれを預かっています。」
「…。」
スケは若草色の封筒を受け取った。
「今度の病気は、ママの言いつけを守らなかったから、罰が当たったんです。…ちゃんと治るまで休んでいなさい。」
「はい。ごめんなさい。」
母親はうなだれるスケを抱きしめ、頬に口付けると、静かに部屋を出ていった。

スケは落ち込んだ様子で母が出ていくのを見送ってから、
手元に残された若草色の封筒に目を落とした。
そこには羽ペンでスケサヴァンニ様と書いてある。
随分畏まったその文字を見て、スケはなんだか胸騒ぎがした。
すぐに封を開き、中の手紙を読む。

『スケサヴァンニ様。
麻疹になったという話は聞きました。
大変だったでしょうね、お見舞いにいけずにごめんなさい。
ラウラお嬢様もとても心配していました。
それから、もう一つ謝らなければならないことがあります。
あんなによくしてもらったのに、挨拶もせず引っ越さなければならなくなったのです。

実はあのお屋敷は、ラウラ様のお父上が持っていた屋敷の一つで、
ホスピスとして使おうと移り住んだのが二ヵ月前。
貴方には最初にお話すべきだったのかもしれませんが、
ラウラ様は生まれた時からずっと胸を患っていらっしゃいます。
お医者も匙を投げるほどの病気で、もって五年だと言われていました。
方々手を尽くして、諦めかけていましたが、
つい先日、デンマークに優秀なお医者様が居られる事、
その方なら治療してもらえるかもしれない事を知ったのです。
ただ、診てもらわなければ何ともいえないともお父上は仰られていました。

ご家族はすぐにデンマークに向かわれる事を決めました。
貴方がこれを読んでいる頃には、私達は飛行機の中か、
ひょっとしたらもうデンマークに着いているかもしれません。

スケ君、ラウラ様と遊んでくれてありがとう。
病気のせいでずっと友達がいなかったラウラ様は、
貴方の事が本当に大切で大好きでした。
いつかきっと元気になったラウラ様と貴方の所へ伺います。
だからその日まで、お嬢様の事を忘れないでいてくださいね。
よろしくお願いします。

アレッシア・ビアンキ

追伸
この間の写真を同封しています。
とても素敵な写真ですよ。』


スケは封筒を振った。
中から写真がはらりと出てくる。
それは緑が眩しい、幸せそうな二人の写真だった。
裏を見ると赤いパステルで書かれた文字が。
覚えたての文字は使い慣れていないため微妙に震えて読みにくかったが
その想いは誰よりもスケに届いてきた。
〜Ti amo.〜



「Anch'io.」
パスケースの写真を見ながらスケが呟く。
「スケさんやー、食事はまだですかな?」
「はいはーい、すぐにできますよー。」
いつになくぼんやりしながら作っていたスパゲティは少々延びてしまっていた。
小麦農家とパスタ職人に、なによりパスタに悪い事をしたなと考えながら、
スケはソースをかけた。
「さ、ハーブ100%のスケ特製薬膳パスタですよ。」
「肉は…今日も無いんですね。(ガッカリ」
「みんなの健康のためだ。ね、会長。」
「ハチは共食いになる気がするのう。」
「びっくりびっくり!」
「そんな我儘ばっかり言ってると、栄養剤として苦い薬を混ぜますよ。」
「「・・・。」」
いただきまーす。
スケ以外の全員の声が響いた。
スケは満足そうにそれを眺めるのだった。
  
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