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 ■■ カク はじめてのおつかい ■■
春。新入社員たちが会社に馴れ始め、気の早い人間は五月病の気配を見せ始める頃…
「カクー、会長が東野商事に持って行く花束忘れてた。買って来てー。」
「はい。すぐに行って来ます。」
オフィス街の一郭にそびえる、株式会社ミトー・ファイナンスのビルの四階。
カクことカクリッヒ・アツミハルトは手にしていた書類をデスクに置き、秘書室を後にした。

足早に廊下、エレベーターホール、一階受付前、正面玄関と通りすぎる。
途中すれ違った何人かの女子社員が、その姿に好意的な視線を向けるが、本人は全く気付いていない。
課された業務で頭をいっぱいにし、ガラスの自動ドアを抜けて歩道に出る。
「nun…」
小さく唸り、左右を見まわす。先日教わった、一度曲がって道を渡った所に有る花屋は確か…
「recht(右)。」
一秒に満たない逡巡の後、右に歩を進める。

角を曲がり、道路の向かいのビルに掲げられた看板を見て、記憶が正しかったことを安堵した。
「すみません。」
道を渡り、入口から中を覗いて声をかける。
「はーい、少々お待ち下さいー。」
奥から声だけが返って来た。ゴトゴトと重い物を動かしているような音もする。
何気なく店先の鉢植えなどを見ていると、通行人の視線がチラリチラリと向けられている事に気付く。
理由はわかっているし、もう馴れた。

従業員外国籍比率の高いミトー・ファイナンス社屋内ならともかく、外では目立つのだ。
金髪碧眼長身…
生国の民族的特性が色濃く出たその外見は、日本においてかなり浮いた存在となる。
こんな時だけは愛着の有るピルスナー色の髪を疎ましく思ってしまう。
まぁ、ついでに言えば、男性が花屋の前にいるというのもこの国では注目要因であるわけだが…

「すいませーん。お待たせしましたー。」
店内から明るい声と主に一人の女性が飛び出してきた。
「steiff…」
思わずカクの口から呟きが漏れる。
カクを見上げるビー玉のようなコロコロとした黒い瞳がきょとんと揺れた。
「えーと…なにかお探しですか?花束ですか?」
言葉に詰まった客に対し、ゆっくりとした口調で語りかける。
笑顔では有るが、背後に日本語が通じるかという不安が見え隠れしていたりする。
「ああ、ええと…」

カクはあたふたと、花束を購入したい旨、用途、予算などを伝えた。
流暢な日本語に安心したのか、彼女は緊張を解いた笑顔でテキパキと受け答える。
「ではお作り致しますので、お待ち下さい。あ、よろしければコチラどうぞー」
店内に置かれた小さな丸テーブルと椅子を示した。
これ以上店頭で通行人の視線に晒されても得は一つも無いので、素直にそれに従う。
腰を落ち着けると、店内に視線を巡らせた。
花、花、花…当然と言えば当然だが、花とそれに関連した物で埋め尽されている。
それ以外のものと言えば、先程から花束を作ってクルクルと動き回っている従業員。
彼女の背中に視線を合わせると、先程のことが思い出された。

小柄な体、低い位置でまとめられた黒髪、そしてシュタイフベアのような丸くて黒い瞳。
深い淵に吸い込まれそうな…
ザワ…
背中の真ん中辺りにむず痒さを感じ、カクは視線を逸らせて首を竦めた。
何だろう。落ち着かない。
小柄な女性も、黒い瞳もこの国ではありふれているのに…
何故か今回だけ、クマのぬいぐるみを思い出した。子供の頃から傍に有った、こげ茶のシュタイフベアを。
「お待たせしました。」
不意に視界の大半を色とりどりの花が占拠する。
「こういった感じでよろしいですか?」
大きな花束を抱えニコニコとする彼女を直視できず、カクはレジの方に視線を向けて頷いた。
彼女は、それを催促ととらえたのか、金額を告げ、仕上げのリボンを巻き始める。
「領収書を…『花束代』で書いて頂けますか。」
カクは提示された金額を財布から取り出しながら、依頼を口にする。視線は相変わらず向けられない。
「はい。宛名はどうなさいますか?」
「ミトー…」
社名、部署名、担当名を口にしかけ、別の買物の際に手間取った事を思い出した。
素早く内ポケットから名刺入れを取り出し、代金と一緒に一枚レジの脇に置く。
「これに書かれている社名から名前までお願いします。」
「はい。」
出来あがった花束の横で、彼女は名刺と領収書に交互に顔を向けて、ボールペンを走らせる。
待っている間、ふとカクの視界に彼女の名札が入った。
漢字三文字、最初の文字は…読めない。後半の二文字は…
「お待たせしました。領収書です。」
「あ、はい!」
あわてて花束と領収書を受け取り、深く礼をして、店の外へと向かう。
「ありがとうございましたー。」
背後からの声に足が止まる。
去り難い気持ちとここに居る事に耐えられない感覚、
それに自分の態度が失礼では無いかという思いが絡み合って襲って来た。
落ち着け、普通に…いつもならどうする…ひとつ深呼吸しし、半身で振り返る。
「どうもありがとう。」
そう言って、改めてその場を後にする。自分では笑ったつもりなのだが…笑えていただろうか。
どうにも顔が強張る。頬が何だか火照っているようにも感じる。脈もヤケに速い。
道を渡り、角を曲がり、ガラス戸をくぐり、エレベーターの中でやっと一人になったカクは、大きく溜息を吐いた。
とにかく、頬が赤くなってたら何とかしないと…何言われるかわかったものじゃない。
うつろにそんな事を考えながらカクはエレベーターの階数表示をじっと見つめた。

「ただいまー」
店頭に停めた軽ワゴン車から、エプロンをした男性が鉢植えを店内に運び込む。
「あ、店長。お帰りなさい。」
「なにもなかった?」
問屋から帰って来た店長は、鉢植えを邪魔にならないように店の隅に置き、ふとレジの脇に置かれた名刺に気付いた。
「お客様のかな?」
「ええ。何事もなく…あ、名刺返し忘れちゃった。」
店内の清掃をしていた女性の手が止まる。いいからいいからと店長に手振りで示され、箒を再び動かし始める。
「外国人?言葉は大丈夫だった?」
「えーと…日本語上手でした。普通にやり取りできましたよ。ほら、そこの角のえーと…」
「ああ、ミトーさんの人か。名刺、一応引出しに入れておくから。で、ナンパとかされなかったかい?」
名刺をしまい、花の在庫を確認しながら店長が尋ねた。
「えー。されないですよぉ。もー店長、それってセクハラー。」
屈託の無い笑みで箒を片付けながら軽口を叩く。叩きながら思った。
「てゆーか…なんか怖い顔してましたよ。」

「何してんだ、カク。」
暇を持て余したスケサヴァンニ・ササキェッティが隣のカクの手元を覗き込む。
デスクの前に金髪が二つ並ぶ。
「読めない字があって…これは何て読みますか?」
メモ用紙に漢字がいくつも書かれていた。うろ覚えらしく、それぞれ微妙に点や画が違っている。
「…これは、斉藤の難しい字じゃないか?あとは存在するかどうかもわからん。」
「読み方は?」
「一文字でか?『サイ』、『セイ』だっけ?…『イツキ』とか読んだかな?」
「じゃあ…」
カクは別の字を書こうとして、止まった。今一つ確実にかける自信が無い。
「『深い』と『雪』では何と読みます?」
「『不快』と『行き』?…そのまま読むしか無いんじゃないか?」
日本語、特に漢字は難しい。

〜終〜
  
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